亀戸銭座の跡

江戸時代の寛文8年(1668年)から安永2年(1773年)の間、一時休止した時期もありましたが約100年間、ここで寛永通宝という銭貨が作られていました。その後、明治40年に日清紡績株式会社の本社工場が建設され、洪水や大正12年の関東大震災の折にも工場は守り抜かれましたが、昭和20年の東京大空襲で焼け野原になってしまいました。運動場として利用された後、昭和42年に旧日本住宅公団の団地が建設され、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られ、現在の姿となりました。ここに団地を建てる際には、寛永通宝が多数発見されました。

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         <亀戸銭座の跡>